この、ページは、佐野良吉氏の随想 妻有郷 [十日町地方の歴史と民族」
より抜粋して、書いてあります。
十日町市は、新潟県の最南端に位置し、上信越高原国立公園の美しい山並みを近くに望む風光明媚な山間の小都市である。

十日町市は、市制を施くまでは中魚沼郡と呼ばれていた。 魚沼郡のほかに、この地方の古称は”妻有”または”津張”とか”波多岐”とも呼ばれていたと言う。

「妻有」は、信濃川の最上流で四方を山に囲まれて行き詰まりになっている地勢によって名づけられたたという 地形説と、”泊”の転化説とがある。と記されています。

「妻有」の言語については、信濃史学会長の一志茂樹博士は、トマリ「泊」説を提起されている。

妻有という地名が初めて記録に現れるのは、今から640年前の暦応4年(1341年)の市河文書に津 在庄と書かれているのが初見だと思われる。と記されています。

これらの諸説は、いずれもそれなりの妥当性をもってはいるものの、最も率直に受け入れることができるのは 、「中魚沼郡誌」にあるように、妻有は、”窮極の義なり”という説明や、小林存氏が「中魚沼の物語」で ”妻有とは行き止まりの地という地形名である”といわれているように、信濃川の最上流の四方を山に囲まれ た十日町盆地の行きづまりになっている地形の特徴によって名づけられたと考えるのが最も理解しやすい解釈 だと思われると記されています。                

             参考書籍    随想 妻有郷     「十日町地方の歴史と民族」

                       佐野良吉氏

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