〜〜〜〜〜 kakashi (実際は本名ね(^^ゞ ) の妻有の自然 〜〜〜〜〜

新潟県十日町市のローカル紙 「十日町タイムス」に、ひょんなきっかけから掲載をさせていただいています。
「好きに書いて良いから」と、一見強面の編集長Mさんと一見頑固そうな担当者Tさんの優しい言葉に甘えっぱなしで書いています。
一緒に掲載されている写真を楽しみにしてくださっている皆様にカラーで見ていただきたいと「myギャラリー」に載せる事に致しました。
ほんの小さな自然の切抜きで、ちっとも珍しいものではありませんが、お暇つぶしにご覧下さい。


十日町タイムス (毎月8の付く日に発刊 )

新年を迎える「カシラダカ」

 23年、過ぎ去る時間の何と速かったことと感じていた私。次から次と傷めつけられた。このまま壊れるんじゃないか、なんて決して大げさなんかじゃなくて本気で思った時もある。立て続けに傷付いた市街地・田畑・道路・河川・山々、そして人々の心。お気に入りの山の無残な姿を目の当たりにした時の切なさ哀しさは胸の奥深く棲みついている。

この時期、例年ならば必ず姿を見つけられる冬鳥達、山に入っても姿どころか鳴き声さえも聴くことが出来なくなった。お気に入りの山の尋常じゃない状態に私同様にショックを受けたのかもしれない。新天地で元気に越冬してくれればそれで良い、いつかまた姿を見せてくれればそれで良い。

誰でも良い。とにかく冬鳥の姿を見たい。妻有の自然は復活するって信じたい。そんな思いで上がった山で目を凝らし耳を澄ませ、けど何も探せず沈み気分で山を下りる途中に居た!「もう大丈夫」とでも言っていそうに落ち着いた冬鳥カシラダカが居た。今年もよろしくお願い致します。2012/1/28付

豊かな愛「アカツメクサ」

市街地にも初雪が降った。これから長い妻有の冬が始まる。日の入りの時間も一日一日と早くなり午後4時を過ぎると急激に辺りが薄暗くなってくる。

先日、我が家に来客があった。客と言っても全然嬉しくない客、一言で言えば“犬も食わない客”。あえて呼んだ覚えはないけど何故か来てしまったものだから、こんな時は外の空気を吸うのが一番と、傾きかけた日の影が映る時間帯に信濃川に出掛けてきた。冷たい風が強く吹き上げる土手をゆっくりと歩きながらキラキラと輝きながら流れる川の銀色の美しさを飽きることなく見ていた。

日が落ち、身に沁みる寒さが限界寸前、車に戻ろうと向きを変え反対側の土手を見た時、辛うじて日に浮かび上がった1本のアカツメクサが目に入った。仲間のほとんどが姿を消してしまったというのに驚くほど元気なアカツメクサ、まるで最後の力を振り絞って咲いているように見えてきた。アカツメクサの花言葉は『豊かな愛』、これって、タイミングが良いの?悪いの?

アカツメクサのご利益も無く我が家のお客様はいまだ居座っている。2011/11/8

右へならえ「ホコリタケ」

 子供の頃、白い体の上に体と同じく丸い穴のあいたキノコを見つけると指でツンツン突いて煙を飛ばして遊んでいた。だからその頃の呼び名はケムリタケだった。後になって煙だと感じていたものが実は胞子、それも煙じゃなくて埃と感じられていたことが判り愉快に思ったことがある。

本当の名前はホコリタケ、成長途中の身が引き締まった状態の時にはスライスしてバター炒めなどで美味に食べることができ、その食感から和製トリュフと呼ばれているらしいが実際に食べてみたことはあったけど、どういう訳か胞子を飛ばす寸前状態になった時にしか見つけられなくてトリュフ状態のホコリタケを未だ食していないのは悔しい。そんな訳で今年も和製トリュフに挑戦するべく雑木林散策をした。

朽木の根元でホコリタケが“右にならへ”している。すでに穴があいていて食べられる状態じゃないけど少しも悔しくない。体をすりよせ行儀よく並んで「あ〜ん」。まるで雛が親鳥に餌をねだっているようだ。ほ、私が親鳥?10/18

秋の陽を浴び「アキアカネ」

たとえ道路に土砂が崩れていようが、石ころがゴロゴロ転がっていようが山が気になって仕方ないからやっぱり上ってみる。豪雨から2度目の山上り、前回の時に強い衝撃を受けた被害状況は当然そのまま変わっていない。承知して歩いているからか哀しさよりも山の様を見られる嬉しさの方が勝っていた。

紅葉一番乗りのウルシの葉が真っ赤に染まり、黄色や茶色のナラの葉がドングリと共に地面に落ちている。厳しく恐ろしいのは自然、そして耐える強い力を持っているのも自然。アキノキリンソウは崩れた土砂の上で咲き、リンドウなどは土砂の下から花を咲かせている。冬鳥の姿がまったく見えないのは残念だけど、お気に入りの山は間違いなく深い秋になっていた。

青空高くアキアカネが餌を求め伴侶を求め飛び交っている。残り短い秋を精一杯生きている健気さが伝わってくる。疲れたのか一匹がススキの葉に止まった。秋の陽が体毛を輝かせ何とも神秘的だ。あっ、もしかして陽あたりに立っている私も輝いている…なんてことないない。1018

「ツリフネソウ」で雨宿り

所用で出かけた先で奇妙な天気が迎えてくれた。久しぶりに青空の下を走る心地よさ、お日様の光も、通り過ぎていく田んぼの黄金色も、また一段と眩しい。嬉しいなぁ、思いっきり妻有の秋を撮影できると心躍る道中だった。用が済んだらアッチかコッチか何処へ行こうかアレコレと思いを巡らせていたら、何で?

いきなりフロントガラスにぶつかってくる雨、空は変わらず青いし陽も射している。それなのにドシャドシャ降ってきた。目的の家に着き、焦る気持ちを隠し、用を済ませ、外に出た時は再び青空。ラッキーとばかりに車を走らせれば2分もしないうちに再びバケツがひっくり返る、そんな天候の繰り返し。それでも折角の外出だからと晴れ間を狙って盛んに咲いている道端のツリフネソウを撮影…、しようにもカメラを構える時間さえ無く雨降りとなる。タオルをカメラに掛け、ツリフネソウに視線を移したら花の船の中で雨宿りする小さな虫を見つけた。覗きこまれてモジモジしている。

なんてオシャレな宿だこと、私もこんな船で雨宿りしたいぞ。2011/10/8

頑張る「ホオジロ」

 夏に逆戻ってしまったような暑い日が続く。以前には家の脇に流れる裏山からの清流が周辺の土に適度な潤いをもたらしてくれていて、鉢植えを除けば植物の水やりなんて無縁のことだった。それが、豪雨被害で流れが止まったままカラカラに干上がってしまったものだから家の猫の額ではミョウガさえも葉の先を黄色く枯らしてしまっている。発泡スチロール畑はデビュー1年目にして悲惨な結果と…あ、熱中症か。

ぶり返し暑さにへとへとしながら鉢植えへの水やりをしている時だった。「チッチッチッチ」、微かに聞こえてきた鳴き声はホオジロ。家に居てホオジロの声を聞いたのは初めての事、棲む山が被害に遭ったのだろうか。慌てて家の中に駆け込み、カメラを抱え、飛び出す。

鳴き声を追い、小さな姿を探した。目の前に大きなバッタを銜えて鳴いているホオジロがいる。ちょこちょこと枝を換え、私との距離を保ち鳴いている。大丈夫だってば、決して可愛い子供達を盗もうなんて考えていないんだってば。だから頑張れ、育児パパ! 2011/9/18

夏の終わりは「ホツツジ」

 豪雨は私の入る山にも爪痕を残していた。耳に入ってくる情報で悲惨な状況だと解っていたから覚悟して歩き始める。えっ、ウソぉ!上り始めて早々に山への道が、目の前に続いているはずの道が、大量の土砂と雑木で埋め尽くされている。しばし呆然と佇むだけ佇み、そして気を取り直し、根っこから引き抜かれた雑木をかき分け積もった土砂の上を先へと進む。

 次々と見えてくる路肩の崩れ、土手の崩れ、土砂越えを繰り返しつつも現実として実感できない私がいる。諦めていた山にいるという喜びがあったからなのだろうか。傷だらけになってしまった山、たとえ様子が変わっても、遠く小鳥の声が聞こえ、セミが短い命を懸命に生き、秋の虫が鳴くのは以前と同じお気に入りの山のまま。あぁ情けない、気持は急いても体力がつき予定の半分も上らないで引き返す。

 土砂を越えた先で『ホツツジ』がたくさん咲いていた。『ホツツジ』は夏の終わりに咲く日本固有の樹。ねぇ、1日も早く日本が鎮まる様、一緒に祈ろうよ。2011/9/8

青田を見つめる「ヤブカンゾウ」

私は勝手に決め込んでいた。「十日町は雪害があっても大きな水害はない」と。
 今、違う世界の出来事だったかのような豪雨の爪痕が、あまりにも無残な現実として目の前に広がる。いつもは穏やかに流れる川が轟音を発しながらうねり流れる怖さ、東北の大津波がどれほど恐ろしいものだったのか僅かなりとも身近なこととして理解出来た。雨は恐ろしい力で市内至るところの土を削り崩した。

猛暑の日、お気に入りの山もさぞや暑かろうと様子を見に上がった。根性もの笹竹や雑木さえ熱中症になってしまったように葉が項垂れていて、山の麓に広がる田んぼの稲だけが元気で見事な青田を見せてくれた。畦道に稲の生長を見守るように1本のヤブカンゾウが生えていた。

豪雨は田畑へも猛威を振るったと聞いている。ヤブカンゾウの蕾は花を咲かせることが出来たのだろうか、田んぼを守ることが出来たのだろうか。
豪雨により被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。8/18付

猛暑が似合う「ドクダミ」

暑い、逃げようの無い暑さが続いている。家中の窓を開けて空気の入れ替えを狙っても流れる風そのものが熱い。作っても、作っても、瞬く間に消えていく氷に冷蔵庫が悲鳴をあげているんじゃないかと思えるほど一日中水分補給をしている。

いえいえ、私以上に悲鳴を上げているのは自分で水を汲みに行けない植物達。庭に出るたび愛で楽しんでいる鉢植えや、今年初めて育てた発泡スチロール箱の中の野菜、ピーマンやミニトマトが毎日だらりとしな垂れ「水、水、水をくれ」と喘いでいる。

夕方、すっかり土の乾いた鉢植えに水をあげながら傍に当たり前のように咲いているドクダミの花の元気さに目が止った。そういえば、ドクダミはいつでも葉がはつらつ、真夏でも暑さでぐったりしているところを見た事がない。その強さが雑草扱いされてしまう要因かもしれない。白十字の清楚な花を見れば雑草なんて思えないんだけど、ね。7/18付

一斉産卵「モリアオガエル」

 雨続きの予報が出ているなか、デジカメ仲間と撮影に出かけた。シトシト降っていた雨も当日の夜明け頃には静かになった。怪しい曇り空を見ながら待ち合わせて撮影決行、目的地は勿論山の中。目的の場所へすんなりと向かうはずがなく、当然ちょこまかと車を止め目に止まる野の花や大自然を撮影。撮影中何度言ったことやら、「青空だったらねぇ」と。

心配していた雨がぽつぽつ降って来た時には切なかったっけ。滅多に時間を合わせられない多忙な仲間、たとえ土砂降りだろうと中止なんて考えてもいない。そんな私達の頑張りを天の神様は見ていてくれたに違いない。午後からは灰色の雲の切れ目に青空が見え隠れするようになった。

未だ残雪残る目的の沼に着き、沼の周囲の雑木にもったり垂れ下がる大量のモリアオガエルの泡を見て歓声を上げる。「この沼を見せたかったの」と仲間に告げ早々と撮影開始。「すごい!一斉産卵だっ!」天候の回復と言い、モリアオガエルの産卵と言い、やっぱり日頃の行いが大事ねぇ…。7/8付

小粋な「シオデ」

 ここ数年、山散策の楽しみの中に山菜を採るということが加わった。時期的なものだから楽しめる期間はごく短くて気候にも左右される。だから大きな声で「山菜採りが趣味」と言えるほど達者ではない。小鳥の声を聞くべく耳が他所を聞いていて、木々を移動する影でも見えようものなら例え足元にワラビがニョキニョキ生えていても、すでに気が気ではなくなっている私の頭の中でワラビは消える。山中どこに行っても目にすることが出来るワラビでさえ本腰を入れないと採ることもしない少々我がまま気ままな山菜採り。だから山のアスパラと呼ばれている貴重な「シオデ」などは見つけても採らないことにしている。群生しない「シオデ」2本目を探す時間が勿体ないから。

「シオデ」は成長過程を見るのが面白い。数日後にはまるで別の植物になってしまったかのように四方八方に柔らかい緑の蔓を伸ばしている。花の咲いたところを見つけると嬉しくなってカメラを向ける。可愛らしさがたまらなく、やっぱり今年も撮っちゃった。

見れば見るほど小粋ねぇ。2011/6/18付

「ウワズミザクラ」真っ盛り

 いつまでも消えずにいた山の雪も谷間にほんの少しだけ残っているのが見えるだけとなった。ようやくお気に入りの山に自由に上がれるようになった、と思った。喜び勇んで車を走らせ山の春を楽しみながらノロノロ走っていたら、尾根道までもう少しというところで行く手の土手が崩落しているのが見えた。悪い予感を感じながらも近づけるだけ近づく。「ぐすっ、やっぱり行けない」

土と一緒に崩れた大きな石や雑木が幅広く道路を塞いでいる。車を降り、滑り落ちた土手を見ながらただただ思う。雪が消えたことで知る今回の地震で私のお気に入りの山も大きな被害を受けていたってこと。反対側は深い谷、Uターン出来る場所も無く気を落したまま車を後退させた。

気分は落ち込んだままでも目に入る木々の花は春の喜びを感じさせてくれる。ウワズミザクラ、真っ白で小さな花が独特の形で集合する様子が遠くからでもすぐ分かる。今年は景気づけにウワズミザクラの実で「あんにんご酒」でも飲もうかな。2011/6/8

山桜に「トラマルハナバチ」

お気に入りの山に中腹くらいまで上れるようになった。とは言っても車で楽々行けるほど妻有の春は甘くない。残念ながら山道の日陰部分にはまだまだ凝り固まった残雪があり、麓からのほとんどをカメラ担いで雪の上を歩いて上がった。立ち止まりながら見る木々の芽吹き、嬉しいなぁ。咲き出した木々の花々、待っていたよぉ。あぁ、小鳥の声も嬉しそう。

そんな風だからなかなか前に進まない。でも良いの、何を見ても感動出来る幸せを味わえるのは豪雪地の特権、こんなに贅沢な時間を急ぐのは勿体無さ過ぎる。どうにか中腹辺りかと思える頃、お日様は元気なのに強い風が吹いていてコートを着ていても寒い。雑木の中でひっそりと咲く山桜を最後に引き返すことにした。山桜に豪華さや煌びやかは感じられないけど、ただただ優しくて大好き。

山桜が大好きな仲間は他にもいっぱい居る。ほら、居た、居た。黄金の毛を着た「トラマルハナバチ」が長いストローを出して風に揺れる花から花へぶんぶんぶん。5/18付

もふもふ「スゲ…」の花

我家の庭に雪がいっぱい残っているからって他所は決してそうじゃなく、ほんの何歩か歩いたら数日前まで雪だった庭には、以前より植えられていたクロッカスが目覚め、ほわんと咲きキクザキイチゲは楚々とした花を咲かせている。

用足しに少し車を走らせればまるで春いっぱいの景色が見え、すっかり横着者の出不精になってしまった目に、桃の花や早咲き桜の薄桃色が信じられない。「もう春よね」と分かっていたはずなのに、私は如何に勿体無い時間を過ごしていたのか後悔しつつ目に入る春を楽しみながら目的地に向かった。

久々の外出らしい外出、もっともっと確実な春を実感してみたくて帰りは少し遠回り。メジロたちが嬉しそうに川端の木々の新芽を啄ばんでいる様子が可愛い。川に落ちないよう注意しながらギリギリ近付き覗き込んだ足元に「わぉ、春!」懐かしい思い出に浸れる花が咲いていた。

毎年、この花を見つける度に学校帰りに道草をしてこの花で遊んだことを思い出す。あぅ、名前が判らない…。2011/5/8付

スミレ」の根強さ

 ヒバリの歌をしばらく楽しんだ後、目的の尾根道を走る。思っていたほど道端の雪の壁は減っていなくて前回と同じく尾根からの見通しは利かず、ヒバリの声に元気を貰ったものの気分は一気に消沈、雑木の芽の膨らみも見えない。どこか日当たりの良いところで深呼吸でもしようかと、だらだら車を走らせた。暖かそうに見えても車から降りてみると風が驚くほど冷たくて日向ぼっこなんてとんでもない。それでも家の中で余震にバクバクしていたことを思えば気分は良好、だらだらと走り続けた。

風は冷たくても春。雪崩と言うほどでもないけど、赤土を抱き込んだ大小の雪の固まりが土手から道路にいくつも落ちている。土手を見上げながらゆっくりと走っていたら土色の中に淡い紫が見えた。

当然、ゲンキン者は寒さも忘れて土手によじ登る。「スミレ」は雪崩にも落石にも揺れにも負けていない。凄いなぁ、崩れた斜面のアチコチで根強く可憐な花を咲かせている。あ〜ぁ、スミレの根性が欲しいぞ。2011/4/18付

春歌う「ヒバリ」

 気持ちを入れ替えることは難しい。日を追うごとに日本の状況は厳しさを増している。私は私で行動することに意欲が湧かないまま時間のほとんどを家の中でグウタラ〜に過ごしている。ついにはネットの仲間が心配して「お元気ですか?」と、遠方から連絡をくれた。

優しい言葉に背中を押してもらい気分転換に尾根道を走ってみるつもりで向かう道中、道路端の雪の壁の中に消えた小鳥に気付いた。瞬間、眠っていた野鳥追っかけ魂に火が付いた。すぐさまUターン、脇道に車を停めカメラをセット、久しぶりに担いだ三脚の重さが肩に嬉しい、小鳥の消えた方向へ歩き出したら心がウキウキしてきた。微かに聞こえる鳴き声を頼りに雪の原を見渡すと、苗代田の予定なのか雪割りがされ土壌が見える田圃があった。広い田圃の端っこでスズメやカワラヒワ、ムクドリ達が嬉しそうに日当たりで戯れ、ちょんちょんと餌探し、その中にひと際楽しげな声が聞こえた。「ヒバリっ!」姿を求めて目を凝らす。

ヒバリが歌っている。「日本の春よ来い」と歌っている。2011/4/8付

がんばれ日本「フキノトウ」

 心の奥に仕舞い込んでいた自然災害の恐怖が鎌首をもたげ現れた。東北関東大震災、テレビやラジオで報道される余りに恐ろしい出来事にトラウマを抱えた私の心臓がバクバク音をたて続けた。さらに続いた栄村・上郷地区を震源とした地震、そして、止まない余震は現れて治まらないトラウマを増幅させた。家の内外から聞こえてくる小さな音にも体がビクつき簡単な家事をすることさえ容易に出来ない状態になっていた。気分を変えなきゃいけないと自分に言い聞かせ、深呼吸するごとくに出かけて悔やむ。美味しい空気を吸えることの、なんて幸せなことか。

私が家の中でバクバクしている間に他所の軒下でフキノトウが逞しい花をいくつも咲かせていた。

フキノトウの若緑は美しい。この未曾有の災害で被災された方々と、救出に尽力されている方々がこの美しい若緑を楽しめる日が一日も早く来ますよう、私を元気にしてくれたフキノトウと共にお祈りしています。2011/3/15付

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