西暦 年 号 年齢

尾台榕堂の年譜と医学の歴史
1795 (寛政7)   杉田玄白と建部清庵の質疑応答集『和蘭医事問答』出版。
1799 (寛政11) 1 越後国魚沼郡中条村医師小杉家の第四子として生まれる。
1802 (亨和2)   桂川甫周が『顕微鏡用法』を著す。
1805 (文化2)   華岡青洲が全身麻酔を世界にさきがけて実用化。
1811 (文化8) 13 宇田川玄真著『医範提綱』刊。
初めて病人を診察して、傷寒(急性熱性疾患)を全治させる。
父三貞(47)、祖父三適(88)没す。(兄三省23歳。)
漢学者亀田鵬斎が円通寺を訪れる。
1813 (文化10) 15  三谷樸が人体の解剖を見て漢蘭両説を折衷し『解体発蒙』を著す。
1814 (文化11) 16 江戸へ出て尾台浅嶽に医を学ぶ。
1815 (文化12)   蘭学の祖杉田玄白が回想録『蘭学事始』を著す。
1816 (文化13) 18 亀田鵬斎の嫡男、亀田綾瀬の塾に入門。
吉野金陵と親しい間柄になる。
1818 (文化15) 20 岑少翁(87)没す。
1819 (文政2) 21  南小柿寧一が精緻をきわめた解剖図巻を作る。
1821 (文政4) 23 岑四娟(37)没す。
1823 (文政6) 25  蘭館医としてドイツ人シーボルト長崎に来る。
1824 (文政7) 26 帰郷して兄と開業。
1825 (文政8) 27  このころ十日町の医師河本道一の娘、里世と結婚。
1826 (文政9) 28  大槻玄沢がクルスム解剖書を改訳した『重訂解体新書』を刊行。
1830 (天保元) 32 岩田倉吉(のちの杉本周禎)が門弟第一号となる。
1832 (天保3) 34 母きく(65)没す。
1833 (天保4) 35 岳父河本道一(善夫)没す。
1834 (天保5) 36 二月江戸大火、師浅嶽没す。
再出府して師家を継ぐ
1835 (天保6) 37 惟寛禅師江戸に来る。
1837 (天保8) 39  塾名を「尚古堂」という。(生涯、300余名の門下生を養成する。)
1839 (天保10) 41 出府中の惟寛禅師中条へ帰る。
シュワンが細胞学説を樹立。
1842 (天保13) 44 クラークとロング初めてエーテル麻酔を行う。
1843 (天保14) 45 次男深蔵(重遠)生まれる。
1846 (弘化3) 48 三男文蔵(存義)生まれる。
1848 (嘉永元)   牛痘苗と聴診器が蘭館医モーニッケにより伝わる。
1849 (嘉永2) 51 幕府は医官の西洋医学研究を禁じ、さらに蘭書の翻訳出版取締りを強化。
1851 (嘉永4) 53 『橘黄医談』なる
1853 (嘉永6) 55 『重校薬徴』 『類聚方広義』を著す。
亀田綾瀬没す。
先師の嗣子、武雄(半橋)類聚方広義の題言作る。
1854 (安政元) 56 惟寛禅師(78)没す。
1855 (安政2) 57 療難百則 』を著す。
1856 (安政3) 58 類聚方広義』出版。
1857 (安政4)   幕府の要請によりオランダ海軍軍医ポンペが長崎に来る。
本格的西洋医学の教育が始まる。
1858 (安政5) 60 掘織部正、駒井右京らと北海を巡視する。
ウィルヒョウが細胞病理学説を発表し病理学を革新。
幕府は蘭方禁止令を解き将軍の重病治療のための蘭方医を侍医に 任命。江戸お玉ヶ池に種痘所を設立。
コレラ大流行。
1859 (安政6) 61 兄三省没す。
アメリカの宣教師・医者・語学者であるヘボンが来日。
1860 (万延元)   種痘所が幕府直属となる。
医学館において『医心方』出版。
1861 (文久元)   幕府から侍医として出仕するようにとの要請を受け、三つの条件を提 示し、それが受け入れられて受諾。親友の芳野金陵はその気概を壮 して「三好斎」の額を贈る。
種痘所を西洋医学所と改める。
長崎の養生所落成(本格的洋式病院の初め)。
緒方洪庵訳『扶氏経験遺訓』30巻の出版完結。
1862 (文久2) 64 『医余』出版。
甥河本杜太郎は、1月15日、同志五名と共に老中安藤信正を坂 下門外に襲って壮絶な最後を遂げる。
1863 (文久3) 65 将軍家茂に拝謁。
西洋医学所を医学所と改め機構を改変し、漢方の医学館と同格となる。
1864 (元治元) 66 『霍乱治略』出版。
1865 (慶応元) 67 『学思斎存稿』を著す。
1867 (慶応3) 69 『閑窓筆録』を著す。
家督を良卿(武雄)に譲り、巣鴨へ移住。
塩谷宕陰(57)没す。
1868 (明治元)   新政府は幕府の医学施設を接収し大病院を下谷に開く。
1869 (明治2) 71 『井観医言』 『方伎雑誌』を著す。
医学の範をドイツにとる方針決まる。
医学校並びに病院を大学東校と改める。
1870 (明治3) 72 11月29日没す
1871 (明治4)   方伎雑誌』出版。
大学東校にドイツ人教師着任し大いに学制改革。

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